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長い人生の中の、ほんの数年のことだから

中学時代なんて、人生においてほんの数年なんだし、未来は沢山あるんだよ、色んな生き方歩き方があるのよ。と
M先生は面談の時に繰り返しおっしゃいました。
いま歩けなくてもこの先いくらでも道があるよと他のお子さんの例も交えてお話されました。
そうですね、でもとても貴重な中学時代でもあります。
とはいえ、親だからこそ、心配や焦りはつきませんよね。
それに起立性調節障害が治るには短くても3年とか聞きました、頭痛外来で。
もっと長い時間苦しむお子さんもいます。
長女の中学でも起立性調節障害のお子さんがいたようです。
その男の子は1年半で完全復帰したよ!という成功談を教えていただきました、が、、。
うちの子がそのように好転するとは思えないなぁ。
3年生からは普通に学校に行きたい、そう言っています。
でも、朝、気持ち悪さがある以上、日中学校には行かないでしょうね。
関わるのが辛い時がある
毎日何をしているのか不明です。
パソコンでカチャカチャやってます。
将来に役立つよう、せめてブラインドタッチを教えてやろうかと思ったり。
けど、かかわるのがつらい、長女の顔見るのもいやだ。
そんな時期が私に到来しています。
時々、長女が無性に嫌になる時があります、黒い闇だわぁ(–;)
長く続くとやばいな。家の中の雰囲気悪くなります。
振り返ると、ずっと困っていた
思い返せば2歳のころから、多動かな?と思わせるくらい動き回る子で、
公園でたまたま会ったママや、病院の待ち合いのおばさんに、
『こんな動き回る子見た事ない、私には無理だわ』などと傷つく事も言われました。
ハーネスをつけて散歩しないと危なくて仕方なかったです。危険と隣り合わせでヒヤヒヤしてばかりの幼児時代でした。
宿題はギリギリ、いつも忘れ物の小学生時代
そして小学校に入れば、宿題は夜寝る前のぎりぎりまでしない。
やったと嘘ついた時もありました。
勉強は本当に嫌い。
宿題させるのしんどかったなぁ。小学生時代はこれに尽きます。
小3の時、担任と相性悪くて荒れていました(私も嫌いだったけど)。
担任の言うことを聞かない、テストのプリントを白紙で出す、忘れ物がクラスで一番多い。
マラソン大会は驚異の最終ランナー。
真剣に走ってないよね?と不思議なくらい遅かったマラソン。
心配でSCさんに相談しました。
そのころのSCさんから言わすとおおらかな面があり、問題ないんだって。
そんなものかな。
おおらかなのはいいけど、そのおおらかさの尻拭いは母親です。疲れますよね。
私がそれ以上におおらかだったら良かったけれど。
心配性な性格なのでこの頃から眠れなくなったりと悩みだしました。
今でも電気はつけっぱなしだし服も脱ぎ散らかし、ゴミは散乱。
まあ、このへんは子供のあるあるかな?と思いますが。
M先生いわく、やってくれる人(私)がいるからだそうです。
そんな長女でもいいところはあった
英語の習い事をしていて、英語劇をするんです。
誰もやりたがらない役を進んでやったり、主役を買って出たりと、英語の先生いわくボランティア精神と責任感があるらしく。
これにはしっかりと打ち込んでいました。
でもやりたがる割にはセリフを練習しなかったりで、私が必死に叱咤激励しながらカタチになるといった具合。
ほぼ60%私のおかげ、20%は先生のおかげ、20%は本人のがんばり。
それくらいバックアップがんばっていたので、長女の背中を押すのは疲れました。
その習い事も引っ越しを機に、近くに教室がなかったので辞めざるを得ず。
いいところは伸ばしてあげたかったな。
家族で暮らしていくことが出来なくなり、それどころではなくなったのでした。
経済面で暮らしていくために引っ越したけれど、ストレスの引き金になったのだとしたら
何のための引っ越しだったのかと、今でも後悔しています。
そして元夫への恨みつらみは繰り返されるのです…
今も昔も、育て辛さを感じて
バス遠足のとき、班の子が1人ではぐれてしまった時、進んで探しに出たりと責任感の強さは今だ健在のようで。
ただ、それは外でのいいときの一面。
うちでは引きこもりでガチャガチャの部屋でひたすらパソコン、言わなければ歯磨きもしないしね。
お手伝いはお小遣い欲しさにたまにやるくらい。
うちではいい面は全く発揮されません!いい面みせてくれよ!
今まで育て辛さを感じたり、難しいなと思った事もありますが、
不登校は最大級の心配ですね。
中学時代はあっという間よと、M先生は言うけれど。
辛さのほうが多い毎日です。やっとのことで日々を乗り越えて生きてる感じです。

